コカコーラの好きなキリン

ライブレポや音楽雑記、漫画のことなど。

少女メディア研究テスト

BGM:The RAYDIOS
元teengenerateのFinkのバンド。
FifiよりFink派な私としては最高。
ソリッドで安定感のあるロックです。


今日は少女メディア研究のテストでした。
参考→少女メディア研究
しかし、私は聴講生のため問題用紙だけもらって帰ってきました。
○×なはずなので簡単だと思います。
以下問題を載せてみます。


1.「少女」の定義について


1.1.以下の表にキーワードを記入して明確に示しなさい。[全18点](与えられた言葉から思いつくキーワードを対比させて書く、とのことです。)


「少女」「少年」
1
2
3
「少女」「女性」
1
2
3
「少女」「女の子」
1
2
3


1.2.「少女」論の視点から以下の引用文を比較して、相違点と共通点を述べなさい。[全17点]


(A)女の子は、ある日、自身が「少女」と呼ばれる存在であることに気づき、同時に、自分は、決して「男の子」ではあり得ず、「少年」にはなり得ないことを知る。そして、この頃から、確かに、彼女たちは、自身の周囲に小さな繭を作り、その中に閉じこもって、蛹の夢にまどろみ始めるように見える。あたかも、外の世界から意識的に身を隔て、自分だけの流れ去らない時を生きようとするかのように。(本田和子『「ひらひら」の系譜-少女、この境界的なるもの』1982年(P.137))

(B)「萩尾望都はなぜ間接話法によって「少女」のある時を描いたのか。最大の理由は、萩尾望都が生きた彼女自身の内なる「少女」と、現実に「少女」よ呼ばれている存在との齟齬の体験であろう。」宮迫千鶴(『超少女へ』1984,P.184)はここで萩尾の『トーマの心臓』を、少年の物語ではなく、間接的な少女の物語である、とし、なぜ回りくどい姿で少女が描かれたのか、を考察する。


2.「少女」と「メディア」について


2.1.「少女」と「メディア」はどのような関係にあるか。例えば、メディアにおける少女、少女のためのメディア、メディアとしての少女・・・などを念頭に論じなさい。


2.2.別紙のカラー図版は、現代美術家会田誠(1965)の「滝の絵」(2007;419x252cm;キャンバス・アクリル絵具)の一部分である。「少女」を描いていると言えるか。またその根拠も示しなさい。[全15点]



スキャナ調子悪いので携帯です。


3.少女メディアの批評力の特権化について


3.1.最近、社会的話題になっているやおい・BLは、少年マンガの少女的読み替えとして評価されている。少女マンガの少年的読み替えという正反対の現象も考えられるのだろうか。その根拠も示しなさい。[全10点]


3.2.少年メディア論は誰に求められるか。つまり、社会全体にとって普遍的重要性があるか否かについて述べよ。[全10点]


3.3.今回の講義を受けながら見えてきた、少女メディア論の「残された課題」よは何かを指摘せよ。[全10点]


いやぁ、素晴らしい。○×問題なんて一つもありませんね!
普通に論述問題です。
これはテスト対策してこないと、というより普段漫画なりそっち系に親しくないと例を挙げることすらできないという辛い状況に陥りそうです。
出席点目当てで受講した人達は涙目でしょうね。


とりあえず2.2.の絵の問題は少女を描いているんじゃないかなと思います。
・少女のスク水に名札が貼ってあって、一人一人名前や学年、クラスが描いてある
・自転車や葉っぱと違い、少女たちの輪郭は黒い線で縁取られている
・右上にいる若林さんだけおそらく旧スク

右上にいる若林さん。股のあたりに注目。


せっかく授業を受けてきたのにどうでもいい切り口から攻めてみました。
後悔はしてません。
とりあえずこれで今年春大学の教授会を騒然とさせ、ネット界でも話題となった少女メディア研究の授業はおしまいです。
講師を呼びまくるので金がかかり、来年やる予定はないそうです。
誰か大学側に働きかけてくれないかな。